霊能一代砂澤たまゑ伏見稲荷大社が認めた最後のオダイ行者砂澤たまゑ彼女の生涯そして神様との接し方などを語った伝説の一冊伏見稲荷のオダイが辿った数奇な運命の物語稀有な霊能者が語るお メールが迷惑メールフォルダに入ることがあるため、確認をお忘れなくお願いします。
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「霊能一代」
砂澤たまゑ
伏見稲荷大社が認めた最後のオダイ(行者)・砂澤たまゑ。
彼女の生涯、そして神様との接し方などを語った伝説の一冊。
伏見稲荷のオダイが辿った数奇な運命の物語。
稀有な霊能者が語るお稲荷さんの不思議な力と神秘体験の数々……
この本を読まれて、
神様は本当におられ、
一心に信心すれば、
どのようなことを叶えてくださるのか。
本当の霊能者とはどのようなものかを、
少しでもお分かりいただけるなら嬉しく思います。
――本文より
砂澤たまゑ(すなざわ たまえ)
稲荷信仰の行者(オダイ)。稲荷神など神の声が聞こえる稀代の霊能者だった。若いころから厳しい行をおこない、京都府福知山市の内記稲荷神社を世話しながら神様を祀っていた。独力で京都・伏見稲荷大社の支部である三丹支部を立ち上げ、多くの信者を集めた。2021年9月、第13代・伏見稲荷大社名誉宮司の故・坪原喜三郎氏とともに同社内の霊魂社に合祀される。
1922年(大正11)1月1日、兵庫県朝来郡和田山町(現在の朝来市)に生まれる。
1929年(昭和4)初めて伏見稲荷大社に参る。同年大蔵尋常小学校入学。
1935年(昭和10)、尋常小学校を卒業し大阪に出て働く。
1939年(昭和14)伏見稲荷より御神璽を受けオダイになる。
1944年(昭和19)旧満州(中国東北部)に渡り、1945年(昭和20)8月に帰国。戦後本格的にオダイの仕事をはじめる。
1954年(昭和29)から伏見稲荷で講習を受け、1957年(昭和32)に四級教師となり、扱所を設立。
1962年(昭和37)鳥取に移る。
1965年(昭和40)京都府福知山市前田に教会設立、翌年に三丹支部設立。
1973年(昭和48)福知山市内の内記稲荷神社に移り神職を兼ねる。
1992年(平成4)特級支部に昇格。
1994年(平成6)一級教師となり、仁階を授与され、最高位を極める。
2005年(平成17)内記稲荷神社を離れる。2009年9月11日に逝去。
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